2018/10/07

生を少し失うことでより生を意識する

 

よく怪我をする。そそっかしいから、慌てて何か作業をすると決まって傷を負う。

毎年必ず胃腸炎にかかるし、季節の変わり目には必ず体調を崩す。

そういうときにしか生きていることを実感することがないなとよく思うし、もっと多くの場面で生を意識したい。自傷行為をする感覚と紙一重かもしれない。手首を伝う血の温かさや痛みでしか生を実感できないというのもわからなくもない気がする。やりたくはないけど。

もう読まないと思って売ってしまった本のことを不意に思い出して本棚を漁ることがある。結局は見つからなくて 自分が売ったことを思い出して恨めしく思い悔やむ。

本当に自分に大切なことは1ミリたりとも失いたくないし、失わずともそれが私にとって大切であるということを常に意識していたい。わたしが人間である限りそれはきっと無理なことだとは思う。1日1日と生きた時間が多くなるたびに私にとって大切な物事は確実に増えていく。それらのことを大切なものとして完全に認識し続けることはきっと不可能だから、私にとって大切なことだったということを私が死ぬときまで気づけない事柄もきっといくつもあるだろう。人はあまりにも不完全だ。一体何のために生きるのだろう。幼いころに生死や宇宙に思いを巡らせ眠れなくなったような夜が、今夜も私の元にやってくる気がする。