2018/03/31

月が綺麗だと少し泣いてしまう

 

だいすきな友人に会ってきた。1年半ぶりかに会った彼女は相変わらずはつらつとしていて、綺麗な容姿は健在、わたしは彼女のことが好きだ、会うたびに思う。

彼女に対して、惰性で話すことがわたしにはできない。彼女はなんだか鋭い人だから、こちらがなんとなくで発した言葉にすぐに気がつくし、すぐにそこを突いてくる。だからどんなにくだらない話でもわたしは彼女に対して本当のことしか言えないし、また彼女もそう、だからわたしは彼女を好いているのだと思う。彼女と話していると、お互いの精神的な部分の根本がどこか似ていると感じる。そこからの派生の仕方が違うのだけど、物の感じ方、直感的、感覚的なことでよく共感できる。それが気持ち良いし、感じたあとの1つ次の段階とでもいうのだろうか、感じた物事をそれから先の自分の生活にどう取り込んでいくのか、感覚したことの解釈や利用の仕方が私と違うのが面白くて興味深くて、何気ない会話でも本当に楽しい。でもお互いに依存はしていなくて、いい意味でドライだ、付かず離れず、あんまりにもさっぱりしたひとだから、いつかわたしのことなんて相手にしてくれなくなるのではないかなんて思わせる。それでもいい、彼女は素直でまっすぐで潔くて粋なひとだから、そのときは、それでいい。

わたしは彼女のことがすき、彼女もわたしのことがすき、だといいなと思う。

帰り道、少し早めにバスを降りて彼女との話を反芻しながら歩く。今夜はとても月が綺麗で、ずっと月を見上げながら帰った。月のクレーターの模様はどう頑張っても餅をつく兎にしか見えなくて、やっぱり日本人だなと思う。昔から、月が綺麗だと思うと自然と涙目になってしまう。いつもそれを夜風の所為にする。