好きが溢れてどうしよう

先週 藤田嗣治の展示へ行ってきました。

それほど彼について知識はあった訳ではなかったけど、名画の裏話を集めた本で、彼の乳白色の下地について読んだことがあったり、彼の独特のビジュアルは好みだったり、彼の半生を描いた映画にも興味があったり、あとフリマで彼のエッセイ本をなんとなく購入していたり、そんな私は展示に何としても行きたくって、それで行ったのだけど、ついには本当に藤田嗣治のことが大好きになってしまった。

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①育ちがいい:軍医の家系 

②とてもモテる:5度の結婚 最初の妻と最後の妻が日本人だったこと

③美意識が高い:最初の妻へパリから送った女性ファッション誌に「これは駄目」「巴里にはこういう女ばかり」「これは良い」などと女性のファッションについて批評する書き込みをする

④意識が高い:当時パリへ渡った日本人画家達は西洋画の技術を持ち帰り日本での地位を築くことを目的としていたのに対して藤田は、パリで画家として認めてもらいパリでの地位を築かなければパリへ来た意味がないと思っていた

以上の点で私は藤田嗣治のことが本当に本当に大好きになってしまった。

彼の交友関係も良くて、特にモディリアーニとの交流には興奮します。モディリアーニ、良いよね。あの独特の目の描き方、あえて瞳を描かない。ミロのヴィーナスの腕を思い出します。自分の理想の腕(瞳)を鑑賞者が自ら思い描き、それが最上の美であるという話がありましたが、私も本当にそう思います。モディリアーニがそういう意図だったかは、知らない。

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彼は肺結核を患いながらも夜な夜な飲み歩き、飲み屋でサッと描いた絵を代金の代わりに置いて行ったといいます。そんなモディリアーニの妻は、モディリアーニが亡くなるとその数日後に身重の身を投じて命を絶ちました。私はこの悲しい話が好き、だってあんまりにも悲しくて、情熱的だと思うからです。病気のせいで思うような創作活動もできない画家と、彼をひたすらに愛した妻、幼い子を残して、お腹の子もいるのに、身を投げてしまう妻、こんなに情熱的に生きる人たち、そんな人たちが暮らした街、時代、私とはあまりにも遠く思えてしまって、少し憧れてしまう。

そのモディリアーニが描いた藤田の肖像画、展示してあったのだけど、私が見に行くのが遅かったので展示が入れ替えられていました。泣いたね。つらいです。こんなにモディリアーニについて語ったのに。

でもそんなドラマティックな画家との交流をもった日本人画家がいて、パリでも認められていて、そんな画家の絵を、本物の絵を、今見ることができるなんて本当に素敵なことだと思ったらどきどきが止まらなくて、美術って素晴らしいなと改めて思うことができた展示でした。

他にも藤田嗣治の素晴らしいところはあって、例えば本当に絵が上手いこと。画家ってやっぱり基礎はすごくて、写実的に描く技術を身につけた上で自分のスタイルを確立している訳で、藤田もそうなんですよね。藤田といえば、女と猫ですが、その猫が本当に良い。毛並み、足先の指の膨らみ、目つき、本当に上手くて、見ていて声が漏れました。好き!

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(私が一番好きなのはこの絵、「私の夢」)

油彩なのに水彩みたいに描くところ。墨汁を用いるところ。色のせいなのか塗り方なのか、絵が陶器みたいなところ。日本画特有の輪郭線と西洋画の油彩を融合して自分の描き方を確立したところ。独自の乳白色の作り方を誰にも漏らさなかったこと。パートナーが変わるたびに画風が変わるところ。好きが溢れてどうしよう。

とりあえずは赤坂離宮の迎賓館で藤田嗣治の天井画を見に行こうか。