存在している時代が一致しているということ

向田邦子さんについて話します

私は小学生のころ公文式に通っていて 算数と国語を習っていたのですが その国語のプリントを通して向田邦子の随筆を初めて読みました 少なくともそう記憶しています

向田さんってなんて素敵な体験をしているんだろう なんて素敵な文章で体験談を綴るんだろう

とずっと気になっていて記憶の片隅にずっとありました

そしていつかの夏休みに少し遠くの本屋さんで父から 「父の詫び状」を買って貰った 浅田次郎の「地下鉄に乗って」と一緒に

 

でも公文式のプリントで読んだ文章が向田さんのものだったのかは正直怪しい

というかたぶん思い違いだったと思う

歳をとった父がエレベーターに初めて乗り 娘がエレベーターのボタンを押して操作するのを物珍しそうに見ていて お前エレベーター動かせるのか と目を丸くして見ていて  娘としては可笑しいのと 父が年老いてしまったというどことない切なさを感じる

というお話

たぶん向田さんのお話ではないように思います

向田さんのエレベーターのお話と言えば『お辞儀』だった

私がプリントで読んだお話は誰のものなのだろうと気になりつつもここでは向田さんのお話をします

 

 

私は向田さんが大好きです 彼女の随筆は文庫版になっているものは全て持っていると思います それでも図書館でハードカバーの全集を眺めるとまだ目にしたことがないお話もちらほらありますが…

向田さんはもともと映画のコラムの書き手さんでしたがラジオドラマやテレビドラマの脚本を書くようになります 有名なのは寺内貫太郎一家 だとか 阿修羅のごとく だとか

エッセイも多く書いていて 小説も書いていて直木賞も授賞されています ( 私が好きなのは 『かわうそ』です かわうその残酷な習性とおんなの本質の対比が上手くて読んでいて本当にぞっとする )

彼女の文才はもちろん食いしん坊なところも彼女の魅力のひとつです 全国各地からいろんなものを取り寄せ 自身も料理上手 美味しいものについてのメモを貯める引き出しも書斎にあったほど  

小料理屋の女将にいつかなりたいなんてエッセイにも書いています

お料理も食べることもすきで食器にも凝る

気に入ったものしか身につけないタチで

どんなに寒くても気に入るものが見つからない限り手袋はしないなんて話は有名です

洋裁が得意

でも片付けは苦手 

締め切りはギリギリというより遅れがち

悪筆

そそっかしい

仲良しは黒柳徹子さん!

 

どんなに彼女の魅力を書き立てても伝え尽くすことはできない

こんなに素敵で魅力的で愛嬌があって周りから愛される人がいるのだろうか いていいのかしら

そんな彼女が乗っていた飛行機は台湾上空で1981年8月22日 散ることになります

 

こんなに素敵な人でもいつかは死んでしまうし 不慮の事故はどうにもならないものだなと思う

何より悲しく感じるのは彼女と私は同じ時代に存在していなかったこと こういうことよく考えます 同じ時代に存在していないってとっても悲しいし どうにもならないことだし とてつもなく切なくなる

 

なんてことをYouTubeトットてれびを見ながら考えていました 向田さんに一目でも会いたかった