2018/10/07

生を少し失うことでより生を意識する

 

よく怪我をする。そそっかしいから、慌てて何か作業をすると決まって傷を負う。

毎年必ず胃腸炎にかかるし、季節の変わり目には必ず体調を崩す。

そういうときにしか生きていることを実感することがないなとよく思うし、もっと多くの場面で生を意識したい。自傷行為をする感覚と紙一重かもしれない。手首を伝う血の温かさや痛みでしか生を実感できないというのもわからなくもない気がする。やりたくはないけど。

もう読まないと思って売ってしまった本のことを不意に思い出して本棚を漁ることがある。結局は見つからなくて 自分が売ったことを思い出して恨めしく思い悔やむ。

本当に自分に大切なことは1ミリたりとも失いたくないし、失わずともそれが私にとって大切であるということを常に意識していたい。わたしが人間である限りそれはきっと無理なことだとは思う。1日1日と生きた時間が多くなるたびに私にとって大切な物事は確実に増えていく。それらのことを大切なものとして完全に認識し続けることはきっと不可能だから、私にとって大切なことだったということを私が死ぬときまで気づけない事柄もきっといくつもあるだろう。人はあまりにも不完全だ。一体何のために生きるのだろう。幼いころに生死や宇宙に思いを巡らせ眠れなくなったような夜が、今夜も私の元にやってくる気がする。

2018/09/04

平熱の光

 

わたしはあまり熱量のない映画が好きで 特に画面の光加減を気にしてしまう 普段日常で自分が見ている世界と同じような彩度や温度の光を撮っている映画だけを見ていたい

その点 岩井俊二の作品は完璧だ リップヴァンウィンクルの花嫁を映画館で見たとき 自分がその場にいるように感じるほどリアルな光で怖いほどだった

二重生活もいい 天気が曇っているような印象の光が好きなのかもしれない 

あまり派手な事件性がなくていい 主人公本人のごく個人的な出来事、社会的には事件性は高くないけれどその主人公の周囲を少しずつ巻き込んで狂わせていくような話が好きなのだと思う 

そういった映画ばかり見ていると普段の自分の生活も映画の一部のような気がしてきてごく平凡な日常でも愛しく思える

風の強いなか窓を開けてヒラヒラ動くカーテンを眺めてベッドに横たわりながら外の音を聞いている そんな今日も愛しい一日だと思う

2018/07/06

ただ酔っている漂っている

 

部屋の窓を開けて外を眺めたら雨が降っていて涼しくよい夜だと思った 深夜一時

部屋の明かりを極力暗くして何か読みたくなって、俵万智のチョコレート革命を選んだ

古本屋で買った色褪せたハードカバーが気に入っている

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出窓の縁に足を上げて行儀が悪いけど

部屋から見える景色の遠く夜空が少し赤く見えて不思議だと思う

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こんな時間がずっと続けばいいのに

7月6日はサラダ記念日だっけ

2018/05/17

時計は1つでいい

 

たまに通る道の脇に風変わりな建物があって、わたしは前からその建物が怖かった。なぜかというと、ごく小さな小屋なんだけど外壁一面に時計がかけてあるから。意味がわからない。時間はどれもあってはいなくて1つ1つが示す時刻はばらばら、特に振り子時計が多かった。皆一様に針を動かしていて、でも小屋には全くひと気はなくてとにかく不気味、夜なんかはその道を通りたくなかった。

一度夜中に通ったことがあって、わたしが小屋の脇を通り過ぎるちょうどそのタイミングで時計が1つ音を鳴らし始めて、それに続いて2つ3つ他の時計も鳴り出した。鐘の音なんだけど、本当に怖かった、というかびっくりするじゃないですか。それ以来ますますその道を使わなくなったんだけど、先日思い立って通ってみたらその小屋は忽然と消えていたんですね。時計も小屋もはじめからなかったみたいに綺麗に何もなくなってしまった。あんなに奇怪な小屋なのにその話をする人は誰もいなかったし、もしかしたらはじめから何もなかったのかもしれない。

2018/03/31

月が綺麗だと少し泣いてしまう

 

だいすきな友人に会ってきた。1年半ぶりかに会った彼女は相変わらずはつらつとしていて、綺麗な容姿は健在、わたしは彼女のことが好きだ、会うたびに思う。

彼女に対して、惰性で話すことがわたしにはできない。彼女はなんだか鋭い人だから、こちらがなんとなくで発した言葉にすぐに気がつくし、すぐにそこを突いてくる。だからどんなにくだらない話でもわたしは彼女に対して本当のことしか言えないし、また彼女もそう、だからわたしは彼女を好いているのだと思う。彼女と話していると、お互いの精神的な部分の根本がどこか似ていると感じる。そこからの派生の仕方が違うのだけど、物の感じ方、直感的、感覚的なことでよく共感できる。それが気持ち良いし、感じたあとの1つ次の段階とでもいうのだろうか、感じた物事をそれから先の自分の生活にどう取り込んでいくのか、感覚したことの解釈や利用の仕方が私と違うのが面白くて興味深くて、何気ない会話でも本当に楽しい。でもお互いに依存はしていなくて、いい意味でドライだ、付かず離れず、あんまりにもさっぱりしたひとだから、いつかわたしのことなんて相手にしてくれなくなるのではないかなんて思わせる。それでもいい、彼女は素直でまっすぐで潔くて粋なひとだから、そのときは、それでいい。

わたしは彼女のことがすき、彼女もわたしのことがすき、だといいなと思う。

帰り道、少し早めにバスを降りて彼女との話を反芻しながら歩く。今夜はとても月が綺麗で、ずっと月を見上げながら帰った。月のクレーターの模様はどう頑張っても餅をつく兎にしか見えなくて、やっぱり日本人だなと思う。昔から、月が綺麗だと思うと自然と涙目になってしまう。いつもそれを夜風の所為にする。

2018/03/27

牛乳強奪メモリー

 

中学三年生の終わりの方の3分の1の期間、牛乳を強奪することに命を燃やしていた。これを読んでいる人はきっと意味がわからないと思うだろうし、いまこれを書きながら思い返しても自分でも意味がわからない、きっと深い意味なんてなかった。仲の良い女の子2人とわたしは毎日学校の余った牛乳を強奪することにとにかく熱中していた、それだけなのだ。

わたしの通っていた中学校が割と名の知れた荒れた中学校だったせいか、思春期ならではの変な意識なのかは知らないが、お昼の時間に牛乳を飲むのがださい、というような風潮がうっすらあった。わたしの中学校では、お昼はお弁当を持ってきてもよし、学校にお弁当を届けてくれる業者がいたのでそちらを利用するもよし、という具合だったのだけど、牛乳だけは全員分が用意されていて昼食時に飲むことになっていた。でも、お昼に牛乳を飲むのがださい、という雰囲気があったせいか、クラスの3分の1とか半分くらいの子は牛乳を飲まずにそのまま牛乳を運搬するケースに戻していた。それを、私たち3人は毎日せっせと強奪していたのである。

発端はもうおもいだせないのだけど、とにかく牛乳がもったいないという一心だったと思う。先生に見つからないようにこっそりとスクールバッグに牛乳をしまい込み持ち帰るようになった。牛乳がたくさん余るのはわたしのクラスだけではなかったので、ほかのクラスの分も強奪して回った。それだけでは飽き足らず、階段の踊り場で他学年の牛乳当番が牛乳のケースを返却しに行くのを待ち伏せて強奪するようにすらなった。当然牛乳委員会(牛乳の管理をしていて、残乳量のチェックなどしている)の担当の先生にバレて怒られるのだけど、なぜ怒られるのか全くわからなかった。そのまま牛乳を捨てる方が絶対悪!そう信じて毎日毎日先生と攻防しながら必死で牛乳を強奪し続けた。

強奪した牛乳は3人で山分けし、1人10本は毎日持ち帰っていた。家の冷蔵庫は牛乳でいっぱい、賞味期限と戦いつつ、シチューやらクラムチャウダーやらココアやらに利用したりして消費にも力を入れた。3人のうち誰かのうちで牛乳の在庫が多いとなれば、放課後にその子の家に寄りココアをみんなで飲むなど、牛乳の消費の面でも連携していた。

正直、途中から牛乳がもったいないとかそういう意識はどうでもよくなっていて、先生にバレないように牛乳を確保して回るスリルや、友達と連携して牛乳を1つでも多く確保して回るというのがとにかく楽しくて仕方なかった。

中学を出て、牛乳とは疎遠になった。強奪仲間たちとも疎遠になった。もう牛乳強奪のことは滅多に思い出すことはないのだけど、突然今日思い出して自分でもびっくりしてしまった。思い出したのがあまりに急だったのと、本当に熱中して牛乳を強奪していたことがあまりに滑稽だったから。彼女たちはいまどうしているだろうか、中学生たちはまだ牛乳を残しているのだろうか。牛乳は栄養価が高いからなるべく飲んだ方がいいよ、食事には確かに合わないけど。

2018/03/14

オリオン座が見えている限りは冬だ

 

バイトからの帰り道、少し遠回りをしてお寺と神社の間を抜けるのが最近のルートだ、というのは嘘で、ただ単におりたいバス停で降り損ねまくっているだけだ。お寺と神社の間に道があるのは本当で、その道の入り口には、人が二、三人手を繋いで幹を一周できるくらい大きな木がある。それを見上げつつ、寺と神社の間を抜ける。

今夜は星がよく見えて、大木を通り過ぎてからも頭上を見上げながら歩いた。星のことには詳しくないけど、冬の大三角形とオリオン座、北斗七星はわかるのでその3つの星座のことを思いながら歩く。小さな頃、星座の図鑑をもっていた。あいにくあまり気に入ってはいなかった。その理由を考えると、宇宙のことは果てしなく遠くて実体がつかめないもののように感じ、なんだか恐ろしかったから。それに、今見えている星の光はもう何年も前に消失した星の輝きであることもあって、光が地球に届くまでに時間がかかって今見えている、という話も怖かった。どれだけ遠いんだ、怖すぎる。北斗七星が柄杓の形をせっかくつくっているのに、地球から見える星同士の位置関係は将来的には少しずつずれて、北斗七星はいつか柄杓の形ではなくなるという話も悲しくて怖くて嫌だった。無常すぎる。悲しすぎる。怖すぎる。恐ろしい。畏怖すぎる。

そんなことを考えながら初春の夜道を歩いた今夜、冬の星座が出ている限りはまだ冬だ。