2018/03/31

月が綺麗だと少し泣いてしまう

 

だいすきな友人に会ってきた。1年半ぶりかに会った彼女は相変わらずはつらつとしていて、綺麗な容姿は健在、わたしは彼女のことが好きだ、会うたびに思う。

彼女に対して、惰性で話すことがわたしにはできない。彼女はなんだか鋭い人だから、こちらがなんとなくで発した言葉にすぐに気がつくし、すぐにそこを突いてくる。だからどんなにくだらない話でもわたしは彼女に対して本当のことしか言えないし、また彼女もそう、だからわたしは彼女を好いているのだと思う。彼女と話していると、お互いの精神的な部分の根本がどこか似ていると感じる。そこからの派生の仕方が違うのだけど、物の感じ方、直感的、感覚的なことでよく共感できる。それが気持ち良いし、感じたあとの1つ次の段階とでもいうのだろうか、感じた物事をそれから先の自分の生活にどう取り込んでいくのか、感覚したことの解釈や利用の仕方が私と違うのが面白くて興味深くて、何気ない会話でも本当に楽しい。でもお互いに依存はしていなくて、いい意味でドライだ、付かず離れず、あんまりにもさっぱりしたひとだから、いつかわたしのことなんて相手にしてくれなくなるのではないかなんて思わせる。それでもいい、彼女は素直でまっすぐで潔くて粋なひとだから、そのときは、それでいい。

わたしは彼女のことがすき、彼女もわたしのことがすき、だといいなと思う。

帰り道、少し早めにバスを降りて彼女との話を反芻しながら歩く。今夜はとても月が綺麗で、ずっと月を見上げながら帰った。月のクレーターの模様はどう頑張っても餅をつく兎にしか見えなくて、やっぱり日本人だなと思う。昔から、月が綺麗だと思うと自然と涙目になってしまう。いつもそれを夜風の所為にする。

2018/03/27

牛乳強奪メモリー

 

中学三年生の終わりの方の3分の1の期間、牛乳を強奪することに命を燃やしていた。これを読んでいる人はきっと意味がわからないと思うだろうし、いまこれを書きながら思い返しても自分でも意味がわからない、きっと深い意味なんてなかった。仲の良い女の子2人とわたしは毎日学校の余った牛乳を強奪することにとにかく熱中していた、それだけなのだ。

わたしの通っていた中学校が割と名の知れた荒れた中学校だったせいか、思春期ならではの変な意識なのかは知らないが、お昼の時間に牛乳を飲むのがださい、というような風潮がうっすらあった。わたしの中学校では、お昼はお弁当を持ってきてもよし、学校にお弁当を届けてくれる業者がいたのでそちらを利用するもよし、という具合だったのだけど、牛乳だけは全員分が用意されていて昼食時に飲むことになっていた。でも、お昼に牛乳を飲むのがださい、という雰囲気があったせいか、クラスの3分の1とか半分くらいの子は牛乳を飲まずにそのまま牛乳を運搬するケースに戻していた。それを、私たち3人は毎日せっせと強奪していたのである。

発端はもうおもいだせないのだけど、とにかく牛乳がもったいないという一心だったと思う。先生に見つからないようにこっそりとスクールバッグに牛乳をしまい込み持ち帰るようになった。牛乳がたくさん余るのはわたしのクラスだけではなかったので、ほかのクラスの分も強奪して回った。それだけでは飽き足らず、階段の踊り場で他学年の牛乳当番が牛乳のケースを返却しに行くのを待ち伏せて強奪するようにすらなった。当然牛乳委員会(牛乳の管理をしていて、残乳量のチェックなどしている)の担当の先生にバレて怒られるのだけど、なぜ怒られるのか全くわからなかった。そのまま牛乳を捨てる方が絶対悪!そう信じて毎日毎日先生と攻防しながら必死で牛乳を強奪し続けた。

強奪した牛乳は3人で山分けし、1人10本は毎日持ち帰っていた。家の冷蔵庫は牛乳でいっぱい、賞味期限と戦いつつ、シチューやらクラムチャウダーやらココアやらに利用したりして消費にも力を入れた。3人のうち誰かのうちで牛乳の在庫が多いとなれば、放課後にその子の家に寄りココアをみんなで飲むなど、牛乳の消費の面でも連携していた。

正直、途中から牛乳がもったいないとかそういう意識はどうでもよくなっていて、先生にバレないように牛乳を確保して回るスリルや、友達と連携して牛乳を1つでも多く確保して回るというのがとにかく楽しくて仕方なかった。

中学を出て、牛乳とは疎遠になった。強奪仲間たちとも疎遠になった。もう牛乳強奪のことは滅多に思い出すことはないのだけど、突然今日思い出して自分でもびっくりしてしまった。思い出したのがあまりに急だったのと、本当に熱中して牛乳を強奪していたことがあまりに滑稽だったから。彼女たちはいまどうしているだろうか、中学生たちはまだ牛乳を残しているのだろうか。牛乳は栄養価が高いからなるべく飲んだ方がいいよ、食事には確かに合わないけど。

2018/03/14

オリオン座が見えている限りは冬だ

 

バイトからの帰り道、少し遠回りをしてお寺と神社の間を抜けるのが最近のルートだ、というのは嘘で、ただ単におりたいバス停で降り損ねまくっているだけだ。お寺と神社の間に道があるのは本当で、その道の入り口には、人が二、三人手を繋いで幹を一周できるくらい大きな木がある。それを見上げつつ、寺と神社の間を抜ける。

今夜は星がよく見えて、大木を通り過ぎてからも頭上を見上げながら歩いた。星のことには詳しくないけど、冬の大三角形とオリオン座、北斗七星はわかるのでその3つの星座のことを思いながら歩く。小さな頃、星座の図鑑をもっていた。あいにくあまり気に入ってはいなかった。その理由を考えると、宇宙のことは果てしなく遠くて実体がつかめないもののように感じ、なんだか恐ろしかったから。それに、今見えている星の光はもう何年も前に消失した星の輝きであることもあって、光が地球に届くまでに時間がかかって今見えている、という話も怖かった。どれだけ遠いんだ、怖すぎる。北斗七星が柄杓の形をせっかくつくっているのに、地球から見える星同士の位置関係は将来的には少しずつずれて、北斗七星はいつか柄杓の形ではなくなるという話も悲しくて怖くて嫌だった。無常すぎる。悲しすぎる。怖すぎる。恐ろしい。畏怖すぎる。

そんなことを考えながら初春の夜道を歩いた今夜、冬の星座が出ている限りはまだ冬だ。

2018/03/10

とにかくしんどくなってしまった夜

何か決定的に嫌な事があったわけじゃないけどその日1日がなんとなく腑に落ちないときがある。イライラするのとは違って、腑に落ちない。そういうときは23時半頃から日付をこえるまで、1時間くらいはお風呂で過ごす。のぼせるし皮膚はふやけるし寝るのが遅くなるけど何かすっきりする気がする。時間が遅くなるので髪を乾かすのがますます億劫になる。だけど何かすっきりしたいときは私はこう過ごす。すっきりするのとは違うかもしれない、完全に腑に落ちるわけでもないから、でもときどきこうする。

夜中にふらっと外を散歩したくなる。深夜1時を過ぎてから。今日もそんな気分だけど、どうしようか。特にあてもないけど、外の冷たい空気に当たりたい気がする。気がするだけ。自転車に乗って海へ行きたい。深夜の海辺を歩きたい。そう思うだけで行きはしないけど。

ジンジャーエールがのみたい、くるりのばらの花を聴きたい。でもジンジャーエールは気が抜けていないものがいい。ハイウェイを聴きながら海辺を歩いたら完璧だ。永遠を聴きながら永遠について考える。その線は水平線だろうか。上海蟹はうまく割れる?相変わらずわけのわからないことを言っている。

2018/03/03

外でお酒を飲んできた。少し頭が痛い。カクテル系のお酒とは相性が良くない。

ご飯代は学部2年だから二千円でいいよと言ってもらった。ずっと学部2年でいたい。ありがとうございます。

こんなに良くしてもらっているんだから研究補助しっかりしなきゃと改めて思う、わたしが電気泳動するDNAはうまくバンドが出ないことが多いから。やり直してる最中。

PCR法の発案者はサーファーらしい。デートの途中に思いついたんだって、最高か。

研究室にある本を適当に借りてきて読んでいるのだけど、自分じゃまず買わないような本ばかりなので新鮮だし面白い。春休み、調子がいい。

2018/03/02

午前中からバイト、午後特に予定なし。風の強い日。

研究補助をさせてもらっている研究室の先生から夕方に講演的なのがあるよってラインが来ていたので行ってみることにした。いざ学校につくと会場の講義室がどこなのかわからず、だれにも会わないことを願いつつ構内を徘徊する。校内放送でアナウンスが流れるも、「講演があるので”教職員の方は”大会議室へ」などといっており、不思議に思って先生にラインしてみる。「先生、今日の講演は学生が参加しても大丈夫ですか?」「今日のセミナーは教職員向けだから…」

なんで先生私にアナウンスしたん、、、なに、、、え、、、なに、、、、、、、(でも先生のそういうところがなんか好きなので全然大丈夫です)

結局学生が参加しても構わないとのことだったけど、学部生が一人教職員に交じりセミナーを受ける光景に恐れをなして図書館へ退散する。前にもこういうことあった。少し机に向かい、帰りに花を購入する。テストが明けたら花を買おうと思っていたし、好きな花屋が帰り道にあるので。花の名前はわからないので、「これとこれください」などというしかなく、恥ずかしい、でもこれでいい。ユーカリと白っぽい黄色っぽいハーブのような香りのする花を選んだ。無難な選択が悔しいし、生けるのも下手だ。気に入っている酒瓶(形がとてもきれい)に生けたかったのに口径が狭くてだめ、可愛い片口に生けた。可愛い。部屋、いい匂いする。ドライフラワーにしたら映えるような花なのだけど、カラカラの花はどうも好きになれないので生花でよろしくお願いします。それにしてもハーブが部屋にあるのいい。いい匂いするから。いい匂いする。

なんだか春っぽいことしてしまった。街はまだ寒いのに春めいた服装の人をちらほら見かけるようになった。私は寒い季節しか愛せないので、そういう光景を見るとついオラついた気持ちになってしまう。夏は無理だし春は好きじゃない。まだ寒いんだから春めくのやめて。

一眼レフとの関係

私は高校時代に写真部に入っていました 高校で一番初めにできた友達に誘われてなんとなく入部した部活だった たまたまわたしの家には一眼レフがなぜかあり自由に使うことができた その一眼レフは重たくて学校に持ってくるのは面倒で大嫌いだった バスで1時間ほどかけて登校していたことに加えてさほど大した熱量をかけていたわけでもない部活のために重たい荷物をもってくることが不服だった 部会や撮影会も参加しないことが多くて不真面目な部員だった 

でも自分が撮る写真は気に入っていました 気に入った場面を好きな風に切り取るわけだから技術が伴っていなくたって自分の写真は好きだった 

私は人を撮るのが苦手で静物ばかり撮っていた それも自然の風景とかではなくて人工物 無機質なものを撮るのが好きだった 物体の形態や配置 物体同士の位置関係 空間や余白のバランス といったものの関係性の美しさを写真であらわしたかった

高校の写真部なんてものは大抵が互いに制服姿の友達ばかり撮るものでわたしはそれが何より大嫌いだった でも写真の大会はそういった写真ばかりだったし大会で審査員受けするのは友人を写したポートレイトかお年寄りのポートレイトと決まっていた 私の写真がいい賞をとることは大してなかった だから自分が撮る写真は好きだったけど自信はなかったし自己満足で撮るくらいがいいのかなと思ってた 人に見せなくても良いじゃんって 構図や配置や色味がいいなと思うものを好きに撮りたかったしそういったものを好きに撮っていた 

大学生になってからわたしはカメラを一切触らなくなった さほど好きでもないカメラをわざわざ引っ張り出してくる理由など無かったし一眼レフで写真を撮ることから離れるのは容易だった

でもある時 ドイツのベッヒャー派のことを知ってから自分の撮りたい写真のスタイルについて自信が持てるようになった 人工物を 建造物を 客観的に写した写真を作品としてもいいんだって気付かされたというか自分は間違ってないんだって思わせてくれたというか なんだかとても安心した 自分が美しいと感じたらそれはもう美しいものだと自信を持っていいんだよねって当たり前かもしれないけど今まで自分の中に閉ざしていたものが肯定された気がしてとても気が軽くなった 写真をもっと撮ろうと思えるようになった

このことはわたしの人生でもかなり大きめのイベントだったなと昨年末に考え事をしていてふと感じたのでここに書き留めておきたい

今年はたくさん写真を撮りためて何が形に残したいなと思う

ただ、わたしはやはり一眼レフのことがあまり好きではないので 一眼レフを片手に街を散策するというのがどうも苦手であり そのせいで堂々と写真を撮りに出かけることがなかなかできないというのもついでに思い出しているところです

そんなわたしが頑張って写真を撮りためていこうと思うので何かしらの形にできた暁にはぜひお手にとってください